握りつぶしたタバコに火を点けて(第四話)
あんなに何度も繰り返しているのに信じきってくれない。安心してくれない。 どんなに心を砕いて言葉・態度で示しても、最後の最後で踏みとどまっている。 ねぇ、もういいんだ。いいんだよ。
こんなにしても気づいてくれないなら、いっそ最期の時まで与え続けようと思う。
――それがいけなかった。
夜中に中途半端に起こされてしまったせいで、よく眠れなかった僕は寝坊した。トースト一枚を焼いて食べる時間もない。慌しく支度をして部屋を飛び出す。ついでに、隣の部屋をノックする。「兄さん、いってくるね」声をかけてみるが返事はない。ドアの向こうは静かだった。
どうして、こんな事になっちゃったんだろう。 一度廻り始めた思考は、どこが終いなのか解らずぐるぐる廻って、廻り続けてしまう。そうなってしまうと、食事をするどころではなく結局、バケットサンドを食べるのを諦め、暖かいカフェ・オレを喉に流し込んだ。
廻り始めてしまった思考回路は、午後の講義が始まっても止まるどころか勢いを増して、気持ちまでぐるぐるとさせた。こうなっては仕方がない。今日の講義は諦めて、帰ろう。帰って、兄さんの首根っこを押さえてででも話そう。
帰ってきて早々、僕はドア越しに兄さんに声をかけた。けども、ドアの向こうは相変わらず静かだ。僕は少しむっとしつつも、いったん荷物を自室に置いて、もう一度声をかけた。 「兄さん、いるんだろう」 返事はない。でも、ドアの向こうに人の気配はする。 「ねぇ、聞いてる?兄さん、開けるよ」
気持ちが焦っていたのと、昨夜も含めて苛立っていたのもあって僕は返事を待たずにドアを開けた。ベッドの上は盛り上がって、兄さんの金色の髪が毛布から覗いていた。 「兄さん、いい加減起きろよ。もう昼過ぎてるんだよ」 毛布を剥ぎ取ってやろうと、手をかけたところで僕はようやっと異変に気づいた。 「・・・・・・兄さん」 ぐったりして呼吸が荒く、寒い時期だというのに嫌に汗をかいていた。 「兄さん、兄さんどうしたのっ」 冷静に考えれば、風邪だって分かるのに、気が動転した僕はそんな些細な事実さえ考え付かない。 「・・・・・・あ、る?」
僕が呼びかけると、兄さんはうっすら目を開けて、掠れた声で僕の名前を呼んだ。
「兄さん、兄さん。どうしたの、具合わるいのっ?」 見れば分かるって言うのに、僕は馬鹿みたいなことを兄さんに問う。兄さんは辛そうに口を動かして、うっすら笑って答えてくれた。でも、答えてくれる間のどが苦しいのか、苦しそうに息を吐く。それが、僕を不安にさせた。
「みず、くれねぇか・・・・・・」
同じ遺伝子が入っているはずなのに、どこか違う顔。金色の髪も睫も、今は伏せられている瞳も、同じ遺伝子で出来ているはずなのに、僕のものより兄さんのほうが綺麗な気がする。 汗でしっとりとした前髪をそっとずらして、兄さんの額に手を当てる。体温が伝わってくる。当たり前だけど、すごく、温かいと思った。 「にいさん・・・・・・」 起こしてしまわないように、そっとつぶやく。 「なんで、こんな風になっちゃったんだろ・・・・・・」 改めてつぶやいたら、それは重く心にのしかかってきた。すべてを取り戻したはずなのに、何かが違う。幸せなはずなのに、「幸せ」と感じきれない僕がここにいる。 「・・・アル?」 起こしてしまったか。兄さんが辛そうな顔で僕の名前を呼んだ。 「ごめん、兄さん。起こしちゃった?」 僕は、自分の考えがとても申し訳なくて、兄さんの顔を見れなかった。自分の事を投げ打つ覚悟で今を手に入れてくれた兄さんを否定している気がしたから。 「ちがう」 言葉と共に、兄さんの暖かい手が、僕の頬に触れた。一瞬、考えを見透かされての否定かと思い、体が強張ったけど、ちがった。 「なんか、呼ばれた気がした・・・・・・」 兄さんが優しく僕の頬に触れる。 「アル、何でお前、泣きそうなんだよ」 兄さんは力なく笑う。
「泣きそうなのは、俺だって言うのに・・・・・・」
熱のせいで兄さんはとても辛そうだ。でも、僕だって辛い。だって、最近の兄さんは今までの兄さんじゃないみたいなんだ。煙草は吸い始めるし、家に帰ってこないし、ご飯も食べてくれないし、僕のこと避けるし、一緒にいてくれないし。 「最近の兄さん、おかしいよ。なんだよ、ひどいよ、ずるいよ。も、何考えてるのか全然わかんないっ・・・・・・うっ、あーもー、なんでこんなに僕が泣かなくちゃいけないの。意味わかんない。全部兄さんのせいだ」 耐え切れなくなって、僕はぼろぼろ涙をこぼした。きっと、兄さんの頬に当たってしまっている。気持ち悪いかもしれない。でも、そんなこと僕のしったこっちゃない。 「アル」 兄さんが僕を呼ぶ。
「知らない。自分勝手な兄さんなんかもう知らない」 小さい頃から変わらない、僕の名前を呼ぶときにだけ少し柔らかくなる、優しい声で僕を呼ぶ。兄さんはベッドから半身だけを起こし、僕に向き直って、僕の顔を覗き込むようにして問いかける。 「なんでそんなに泣くんだよ。俺のほうが泣きてぇくらいだったのに」 そんなに泣かれたら、兄ちゃん泣けねぇじゃんか。
「・・・・・・兄さん?」 兄さんは辛そうな顔で、けども優しい声で聞いてくる。質問に答えるべきだろうけど、僕はさっきの台詞がひっかかった。 「アルフォンス、俺に言いたいことがあるなら言えよ」 眉根を寄せて、なにかを押し殺すようにして、兄さんは僕に笑って言った。 「何が嫌だったんだ?不満だったんだ?言ってくれれば直すから・・・・・・離れるから」 そう言った途端、兄さんの金色の瞳から涙が伝った。静かに、滑り落ちた。
「にいさん・・・・・・」
ははっ、と兄さんは笑うけど、その瞳からは涙が途切れることなく伝い落ちる。
「兄さん、ちがう。ちがうよ。そうじゃない・・・・・・僕はずっと不安だったんだよ、寂しかったんだよ」
僕に襲い掛かってた、ぐるぐるした気持ち。泣いて、兄さんの体温を感じて分かった。家族がいなくなるのが怖かったんだ。
兄さんはそっと腕を回して、僕の背中を子供あやすように、トントン叩いた。
「俺さ、お前のことすっげー大事なわけ。大切に思っているし、いつでもそばにいたいと思ってる。・・・・・・でもさ、いつまでもそばにいるわけにはいかない。いつかは、別の道を進まなくちゃいけないんだ」
「そう思ったら、離れないといけないんだって思ったら、俺、いままでアルに何てことしてたんだろうってっ・・・・・・もうずっと、俺はただアルを振り回してただけなんじゃないかって、そう思って。だけど、お前はっ、俺の気なんか知らないでっ、研究所にやってくるし。せっかくっ、人が気ぃ使って、離れてやろうと思ってるのによ」 兄さんは叫ぶように言い放つと、鼻をずっと言わせて、呻く様に泣きだした。小さい身体をさらにちぢこませながら、泣いた。その小さい身体を僕はさっきよりももっと強く、抱きしめた。 「ねぇ、兄さん。僕はずっと兄さんのそばにいたいんだ。それは別に誰かに強制されたからじゃなくて、僕がそうしたいんだよ。今の僕があるのは、兄さんがいるからだ。兄さんがいるから、僕は僕でいられる。だから、勝手に離れようとか思わないで。何でもかんでも、自分で決めようとしないで。僕はここにいるんだ」
呻くように静かに泣いている兄さんに、ちゃんと伝わるように僕は何度も、そんな事を繰り返した。
だって、このヒトは僕の兄さんで、僕は兄さんの弟で。
手にしたとたん見えなくなるものがあるってのはホントだね でも、僕らは いったんはそれを手放しかけたけど そのことに気づけたんだ だからもう大丈夫だよ
(2008年3月19日から2008年5月31日までウェブ拍手として公開。)
第4話だけ長さが異常です。
お互いを思うばかり身動きが取れなくなる兄弟が好きすぎるっ・・・
だらだらと続けたこの話ですが、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
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