世界が濃紺から蒼に変わっていくとき
寝酒にと差し入れたナポレオンを慰めにして、ようやっと寝入った彼を横目で眺める。
金糸に触れればさらりとした感触が帰ってくるかと思いきや、それは意外にも張りがあり強く、艶やかだった。
眠っている姿は、グリム寓話に出てくる王子様のようだけど、実際はもっと芯があって力強く、艶やかに笑う。
先入観や思い込みで彼を判断してはいけない。今はこんなにも無防備な姿で眠ってはいるが、彼はとても聡明で活発で、逞しい。
一つの事に夢中になって、周りが見えなくなるまで物事を追いかける。無茶だ、と思うがそれがとても清清しかった。
彼ならきっと、どこまでもどこまでも進んでくれる。きっと、僕なんかじゃたどり着けないところまで歩いていってくれる。

嗚呼、そう思っていた。1年前までは。

生気のない、覇気のない目。どこか遠くを見ている目。
単色化された街。
正体があやふやな彼の気配。


腹が立つほど似合っているよ。


ねぇ、こっちを見てよ。

時たま、腹ただしく思う時がある。何もかも、手にいれられる時間と体があるのに、精神だけが追いついていかないあなた。
僕が、どれだけ焦がれていても手に入らない、時間。
僕だって、ずっとずっと、寝る間を惜しんで研究に取り組んでいたい。自分の力でどこまで達成できるのか、試したい。
けれど、体はそれを許しちゃくれないんだ。
あなたは、健康な体をもって、有限ではあるけれど近い未来の終わりではない時間を持っている。
僕にとってはそれがどれだけ羨ましいことか、あなたは知らないんだ。
頬に指を滑らせる。閉じた瞳を睫が綺麗に縁取っている。
健康ではあるけれど、五体満足でない貴方の身体。
眠るときには義肢が邪魔になるのだろう、取り外して壁際のスペースに置かれている。
はじめ彼が大量の義手と義足を入れた木の箱を持ち込んだときは、あまりのシュールさに驚いた。
彼が普段つけている義肢は生身の身体に近いようにできている。そのため、木箱に入っていた義肢たちが彼の義肢であるとは直結しなかったのだ。
ずいぶんと趣味の悪いオブジェだな、いや、個性的なんだと、よく分からない結論をつけたこともあった。
嗚呼、出会ったばかりのあの頃は幸せでしたね。昔を思い出して口元が綻んだ。あの頃のままだったら、あなたも、そして僕もきっと幸せだったに違いない。


今の、あなたと僕の関係は良好なのかな。
傍目には、まだ仲がよいように見えるかもしれないね。あなたは、何かと僕に話しかけてくれる。
それはあなたのいた世界での思い出話で、あなたが一番に想っている人の話で、でもそれを聞いている僕がどんな気持ちなのか誰も知らないんだ。


頬に滑らしていた指を首元にまで滑らせる。ふと、いけない考えが頭をよぎる。
腕力ではあなたに敵わない僕だけど、無防備に眠っている今なら勝てるかな。このまま、指に力をこめて、手のひらでこの首を覆ってしまったら彼はどうするだろう。驚いて飛び起きて、僕を殴り飛ばすか。それとも、夢現のまま、僕の顔を彼の大事な人と見間違えて、混乱するか。ねぇ、あなたはどうする?もしかしたら、夢の中で死んでしまえば、元の世界に戻れるなんて考えるかもしれないね。
思考が酷く落ちてしまうのは、今が、誰もが寝静まっている深夜だからだろうか。何も聞こえない。静まり返っている。

僕だけが、活動している。
僕だけが、生き残っている。

おかしな錯覚の仕方だ。けども、しんと静まり返った街は空恐ろしい。もしかしたら、僕だけが生き残っているんじゃなくて、僕は死んでしまっているのかもしれない。だから、きっとこんなに静かなんだ。いや、違う。僕は死んじゃいない。生きてる、生きているんだ。ほら、僕の掌が触れている彼はとても暖かい。この人は生きている。だから、同じ位相に存在する僕も、まだ、生きている。


眠れない夜、僕の思考は迷走する。


健やかに寝息をたてる彼の口元に、耳を近づける。呼吸が伝わる。
あなたは、生きている。眠っているあなたは、しっかりと此処で生きている。
なのに、目覚めているあなたは、てんで逆の主張をする。
生きているはずなのに、まるで死人のような目をして生活しているんだ。




生きているあなたはどこにいる?

「此処」にいるんじゃないの?

「此処」で「生きてる」んじゃないの?

ねぇ、「此処」がどこなのか言ってごらんよ。

ここは、どこへも逃げられない「現実」なんだ。

御伽噺の「ワンダーランド」ぢゃない。




眠る彼に、無言で訴える。気づいてくれないって分かっているけど、訴える。
そうでもしなきゃ、僕が耐え切れなくなりそうだったから。


ゆっくりと世界が濃紺から蒼に変わっていく。
彼の金糸が鮮やかに映り、小鳥の鳴き声が聞こえ始める。

夜が明ける。
でも、僕の夜はまだ明けない。


(2008年1月15日から2008年3月19日までウェブ拍手として公開。)

ハイエドはとことん不幸にしたいようです・・・アタス・・・