紫煙と本音を飲み込んで(第二話)
最近、兄さんが煙草を吸うようになった。
一度兄さんが書類や書籍だらけの部屋で吸っているところを見つけて、つい小うるさく言った。
でも兄さんは懲りずに吸っているみたいで、本人はばれていないと思っているようだけど、バレバレ。
2週間に1箱消費するかしないかってペースだけど、吸っているのは確か。


身体を取り戻した直後、兄さんは僕につきっきりだった。
ウィンリーとばっちゃんがいるリゼンブールで暮らしたかったけど、いつ身体の調子が悪くなるか分からないからと、僕らはセントラル郊外のアパートを借りた。
朝になって目を覚ませば、兄さんは僕に「おはよう」といって朝食を出してくれる。
ベーコンが焦げ付いてたり、目玉焼きの目玉が潰れていたりしたけど、美味しかった。
昼間はずっと一緒にいて、図書館へ行ったり古本めぐりしたり、市場に行って買い物をしたり・・・・・・平和な日常を過ごした。
兄さんは僕と食事を摂るのが楽しいらしく、美味い店を見つけたといっては僕を連れ出してくれる。
夕食は一緒に作った。というか、兄さんに任せると、1週間にいっぺんは必ずシチューがでるから。いくら美味しいといっても、そこは考え物だと思う。
3ヶ月ほど、僕らはそうやって楽しく過ごした。

いままで旅をしていたのが嘘じゃないかと思うくらい幸せだった。

そろそろウィンリーたちが待っているリゼンブールに戻っても良いんじゃないかと思っていたとき、兄さんは予想外の提案を持ちかけてきた。・・・・・・いや、あれは提案じゃなくて、決定だ。
日差しが気持ちよい昼下がり。僕らは最近お気に入りのカフェでお昼ごはんを食べていた。
ツナとアボガドのトーストサンド。
手にツナが零れ落ちて、あわてて口に運んだ瞬間だった。

「なぁ、アル。お前学校に行けよ」

今日の夕飯何食べたい?と聞くような軽さで言われた。僕はビックリして、ツナをテーブルにこぼした。

「アル、こぼしたぞ」

兄さんは僕に一瞥をくれると、何も無かったのようにひき肉となすのスパゲッティを口に運ぶ。
あんまり平然と言われたもので、信じられなくて僕は聞き返す。

「兄さん、今なんていったの?」

「あ?何だお前、耳悪くなったのか」

こっちは驚きで真剣にたずね返しているのに、この馬鹿兄貴は人の揚げ足を取るような返事だ。
腹立つ。思わず、ここが外だってことを忘れて声を荒げてしまう。

「そうじゃなくてっ」

「学校いけよ。な?」

そんな僕の反応は予想済みだったのか、あっさりと返された。いつもと違って、真剣だった。ちゃんと考えた上での発言の目だった。
その目の迫力に呑まれて僕は押し黙る。
「なんで?」という疑問は残ったけど、結局半分兄さんに押されるがままに、学校に通うことになった。


なんで、今更学校に行けなんていうの?

なんで、僕にだけ学校へ行かせるの?

なんで、兄さんは学校へ行かないの?


兄さんだって学校へ行って学びたいことがあるんじゃないか。そう問いかけたが「俺はいいの」との一言で取り付く島も無かった。
良いわけないじゃないか。そう思ったけど、学校には結局通うことにした。だって、兄さんがあの融通のきかない頑固な目をしていたし、僕自身学校へ行って、学びたいって言う好奇心があった。


僕がセントラルの大学へ通うようになって暫くしてだ。
兄さんが煙草を吸うようになったのは。

初めは、好奇心で吸っているのかと思ったけどそうじゃないらしい。
吸っている量事体は大して多くないと思うが、身体に悪いし、それになにより吸い始めた原因がなんなのか気になる。
もしかして、僕を学校へ行かせることがストレスになっているんじゃないか。僕を学校へ行かせるために、わざわざ軍属の研究所に身をおいて研究をしているのが苦痛なんじゃないか・・・・・・
嫌なことばかり考えてしまう。
それに、最近の兄さんは僕と距離をとりたがるのか、長時間研究所に篭っている。実験だなんだといって2〜3日戻ってこないなんてざらだ。酷いときは1週間近く研究所で寝泊りする。
僕だって、大学のレポートや課題があるから暇ではないけど、なんだか寂しい。
誰もいない家に戻るのは凄く味気ない。

だから例え避けられていようが、僕はわざと研究所へ出向く。
授業が午前中で終わる日は、無理やり兄さんを外へ連れ出しお茶につき合わす。もしくは、兄さんにあてがわれている研究室で話し込む。
最近はそうやって突然遊びにいくのが楽しみになっているかもしれない。
だって、僕が突然訪ねに行くと兄さんが慌てているのが丸分かりだから。
家では僕を気にして煙草が吸えないためか、研究室で吸っている。其れをばれないようにするために、部屋の片隅に消臭剤が置いてあったり、白衣に灰がこぼれていないか、挙動不審になりながら確認する兄さんが面白い。
けど、兄さんは重要なことに気付いていない。
兄さんが煙草を吸う場所、研究室のベランダ。
下からそこを見上げると、兄さんの腕と紫煙がわずかばかりだけど覗いていること。
あそこは兄さんの研究室の位置だから、絶対そうだ。僕は研究所へよるとき毎回その位置を見上げて紫煙が揺らいでいないか確かめる。
紫煙が揺らいでいると、少し悲しくて苦しい気持ちになる。
なんで、なんだろうって・・・・・・

でも、聞かない。
いまは、聞けない。

いつか、聞けるときがきたら聴きたいなって思う。
いろんなこと。
兄さんが思っていること。
僕が思っていること。


そう思いながら、僕は今日も研究所へ足を運ぶ。
上を見上げて、兄さんの研究室をチェックする。


兄さん、知ってる?

下から見上げると、丸分かりなんだよ。


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(2007年3月14日から2008年1月14日までウェブ拍手として公開。)