点かないジッポにオイルを注いで(第三話)
別にライターで十分だというのに、あの咥え煙草がトレードマークの軍人は誕生日祝いだかなんとか言って高価そうなジッポをくれた。
それじゃ、お返しは煙草をカートンでプレゼントするぜと返せば「そいつは嬉しいや」と満更でもない顔で笑った。
「ニコチン中毒者め」と毒づけば、「お前もそのうちなるぜ」そんな吸いかたしているようじゃなと切り替えされる。
さすが、ヘビースモーカ。お見通しで御座いますか。此処数ヶ月の初心者じゃ、適わない。


今日も今日とて俺は研究室で煙草を吸っていた。
ぼぅっと、煙を吐き出す。紫煙がゆらりと列を成して出てくる。
気付けば灰が長くなっていた。こぼさない様にゆっくり灰皿に灰を落とす。

「はぁ」

ため息もゆっくり出す。ため息をつくと幸せが逃げるとかなんだがいうが、そんなこと知ったこっちゃねぇ。研究データを纏めた分厚い書類に目を通すとノック音がした。

「開いてるぞ」

働くと言うことは、自分の世界に入り込んでいるばかりじゃ成り立たない。昔に比べて集中してても、周りに意識を回せるようになった。(と思う。自分としては)もちろん、自室で書籍を読んでいるときは周りのことなんて知ったこっちゃない。
返事をしたまま、俺は資料に目を通す。

「エドワード、お客さんよ」

扉が開き、声をかけられる。声の主は助手のアンナだった。彼女は俺よりも5つほど年上で、頭の回転もよく、気もまわる。研究に夢中になると寝食が欠落する俺を窘めてくれるので、アンナが助手になってから体調を崩すことは格段に減った。自分よりも年下の生意気なガキの下につくなんて誰だって嫌だろうに、彼女はそんなそぶりをちっとも見せず仕事をして、俺を助けてくれる。偉大だ。
嫌味な研究部部長なんぞに出会うたびに、アンナはなんていいやつなんだろうって再確認している。普通こんなガキの下につけなんて言われたら、カチンとくるもんだと俺は思うのだ。
まだ、就任したてのころに「こんなガキが自分よりも上の地位って事に腹たたねぇの?」って尋ねたら「出来の悪い弟の相手をしていると思えば、屁でもないわ。それに、嫌みったらしい神経質な上司の相手をするよりも喜怒哀楽がはっきりしている人間らしい上司についたほうがマシってモノよ」と返された。一理ある。というか、アンナの台詞に一瞬怯んだのは言うまでもない。

俺は書類を眺めたままアンナに尋ねる。このデスクワークというのは本当に飽きる。最近になってあのムカつく、かつての上司の気持ちがよくわかるようになった。かといって、あいつのようにサボる気は毛頭ないが。

「んー、誰?」
「ふふ、仲が良いわねぇ」
「もしかして、アル!?」
「そうよ」
「ちょっ、アンナ、たんま!!5分、いや、3分でいいからアルを外に待たせといてくれっ!!」

アンナのやけに楽しそうな声を聞いて、アルが訪問客だと悟った俺は一挙に焦りだした。「仕事してましたよ」なんていうポーズをとる余裕すらない。
ヤバイ、研究室でタバコをすっていたのがばれたら、またアルの小言を聞く羽目になる。それだけは避けたい。そうでなくとも、最近の俺はアルに頭が上がらない、というか合わす顔がないというか、なんつーか、色々思う所があっていまいち顔を合わす勇気がないのだ。

「分かったわ・・・・・・って言いたい所なんだけど」
「え・・・・・・」
「もういるんだよねー」

アンナの台詞を継ぐようにして、今度はアルフォンスが扉の向こうから出てきた。俺に残されたコマンドは焦るしかない。咥えていたタバコの火を急いで消しつぶして、灰皿をわたわた片そうとする。いや、もう既にアルが部屋に入ってきているんだから手遅れなんだけども。
そんな焦ってる俺をよそに二人は和やかに会話しやがる!!

「あ、アンナさん。これお土産です」
「あら、アル。これってもしかして」
「ホワイトローズのシュークリームです。前にアンナさんが食べたいって言ってたじゃないですか」
「ありがとう。お茶入れてくるわね。エド、デスクの上片付けてくださいね。資料にこぼされたら大変ですから」

アルから受け取ったホワイトローズの箱を嬉しそうに掲げて彼女は出て行った。
後に響くのは、俺の魂の叫びのみ。

「アンナーーー!!!何買収されてんだぁああっ!!!」


普段なら書類や資料で隙間もない机が、アルの手伝いもあって紅茶とシュークリームが置けるスペースぐらいは確保された。両脇に積み重なった資料郡が崩れ落ちてきたらたぶん、一貫の終わり。でも、やったのは俺だけじゃなくてアルもだから連帯責任だよな、と思いつつ熱い紅茶をすすった。
目の前に座るアルフォンスは美味そうにシュークリームを口に運ぶ。俺はというと、アルの小言が恐ろしくてクリームがたっぷり詰まっている生菓子に手を伸ばせない。 くそぅ、生菓子、焼き菓子の類は嫌いじゃねぇのに、今食べたら絶対に胸焼けを起こす予感がして、食いたくても食えねぇよ!!
そんな俺をよそにアルは指に付いたクリームまでペロリと舐めて満足そうな顔をしている。まったくもって憎たらしい笑顔だ。
でも、けっして嫌いにはなれない。むしろ、そう思う感情すら愛おしいと思ってしまう。
嗚呼、ここまでくると俺も重症だよな。

「ところで兄さん」

シュークリームを食べきって満足したアルは俺を正面からにらんで口を切った。きたきた、さーて小言が始まりますよ。

「まーた、タバコ吸ってたでしょう。しかも今日は書類のうえで」

なんだってこの弟は、こうも口やかましいんだ。現場を押さえられているが俺はしらを切ってみる。

「吸ってねーよ・・・・・・吸ってませぇーん」
「あ、肩に灰」
「げ、マジッ!?」
「うそだよ」

しらを切ろうとした憐れな兄に鎌をかけた弟は、見事にそれが成功するとにっこりと笑ってくれた。目が据わっているが。
そして一発深いため息をつくと例のごとく、怒涛の勢いで小言を発する。

「もうさ、やめろって言うのは諦めるよ。諦めたけど、ここで吸うのは気をつけてよ。周りは紙だらけだよ?火事になったらどうすんのさ。困るのは兄さんだけじゃなくて、周りの人だよ。アンナさんにこれ以上迷惑懸けるようなことになったら、僕申し訳なくてここに遊びにこれないじゃない」

ちくちくと言葉が突き刺さるが、言われっぱなしじゃ据わりが悪い。
「そんなへましねーよ!!」と言い返してみるが、

「でも兄さんって変なところで抜けているというか、気が回らないというか・・・・・・」
「何が言いたいんだよ、お前は」
「ほっとけないよね」
「・・・・・・」

兄撃沈。

一体何回このやり取りを繰り返せば気が済むのだろう。
俺と同じことをアルフォンスも思っていたのか、目が合うと「同じ事言わせないでよね」と再び釘を刺された。
兄としての威厳は一体いつ何処で失ったんだ。


「そうだ兄さん、今日は何時ごろに帰るの?」
「あ、・・・・・・わりぃ、今日もこっちで泊り込みの実験があるんだ」
「・・・・・・そう、なんだ」
「サンプルがうまく定着してくれなくてさ」
「それじゃあ、しょうがないね」

アルフォンスは一瞬悲しそうな顔をして、そして笑った。
その顔を見て、俺の胸はジクリと痛む。ごめん、ごめんな。けど、今は少し距離を置いておきたいんだ。自分勝手な都合でアルに寂しい思いをさせてる。申し訳なくなるのと同時にこの感情は自意識過剰な思い込みなんじゃないかと自己嫌悪にも陥る。
嗚呼、やっぱり重症なのかもしれない。


冷めた紅茶を残してアルフォンスは帰った。というよりも、帰らせた。
見送りから戻ってきたアンナが呆れた顔でドアに寄りかかっている。

「そんな顔をするくらいなら、一緒に帰れば良いじゃない。実験だなんて嘘ついて」
「嘘じゃないって、マジでうまくいかなくてさー」
「エド。今のアナタ酷い顔してるわよ」
「・・・・・・アンナ、わりぃ。俺、ラボのほうで泊まりこむから許可だけ取ってきてくんない?」
「エド!」

アンナの台詞を無視して俺はラボへ行こうとドアへむかう。けども、ドアノブを掴んだ腕をアンナに押さえられた。俺は苛立ってその手を乱暴に払う。その反動で俺の手はアンナの頬にあたった。

「あ・・・・・・」

俺は思わず怯んで、ドアと彼女から離れる。すると、アンナは自分の体でドアをふさぐと俺の頬を自分の暖かい手のひらで包んだ。
彼女の温度が俺の頬に伝わる。

「エドワード、あなたは一回家に帰りなさい」
「アンナ・・・・・・」
「帰ってアルフォンスと夕食をとって、休んで、それから研究所にきなさい」
「でも、」
「エドワード」

アンナは優しい瞳で俺のファーストネームを呼ぶ。姿かたちは全く似通ったところがないのに、その優しい瞳は大好きだった母さんを思い出させ、どうしようもなく動揺してしまう。
色々な感情が襲い掛かってきて、俺は「イエス」としか答えられなかった。


3日ぶりに研究所からでると空気が新鮮だった。
あの閉鎖的な空間ではどうしても空気はよどんでいる。
深呼吸すると、冷たい夜の空気が肺に入ってきて細胞を冷やした。
ジャケットに手を突っ込みタバコとライターを取り出す。
蓋を弾いて、フリントウィールを親指で回す。だが、何回やっても火がまともに点かない。
オイル切れだ。最後にオイルを入れたのはいつだったか。

「あー、ちくしょう・・・・・・」

音を立ててジッポの蓋をおとす。
オイルは、たぶん研究室の書類らが乱雑と積み重なっている机の上だ。
昼間は点いたのに、なんで今は点かないんだ。
無意味にジッポの蓋を開け閉めする。


パチン

パチン

パチン


小さな火にすら見捨てられた俺。


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(2008年1月15日から2008年3月19日までウェブ拍手として公開。)

・・・・・・アンナって誰だよっ。
って、思いながら書いていたのはナイショです。